「柳樽(やなぎだる)」の始まり
胴と柄がともに長く、朱漆で塗り、婚礼などの祝い事に用いる酒樽のことである。『塵泥』のなかに「ある説に柳樽は松永弾正久秀の製しはじめしよし伝ふれども、この松永より以前の旧書どもに、柳樽の見えたれば、この説信じがたし。またいっせつに柳樽は河内国柳川より出るところの樽の名を号するといへり。これもよりどころあるに似たれども、おそらくはうけがたきことにや。おもふに柳樽は伊勢山岡の説のごとく、柳の木をもって造るより名なるべし」とあり、室町時代から作られ始め、江戸時代には婚礼の目録に家内喜多留(やなきたる)と仮名で書き表すようになった。