「蒲団(ふとん)」の始まり
日本に綿が伝えられたのは室町時代末期の永正年間であり、したがって、それ以前には綿の入った蒲団はなかった。
蒲団という名前の意味について『玉勝間』に「いま世に寝るところに敷く物を布團(ふとん)といふは、いにしへ布単といひし物あり、布毯(ふたん)とも書たり。この物より転ぜる名なるべし」とあり、また『貞丈雑記』には「蒲團といふは圓座のことなり。蒲といふ草の葉にて、圓く組みたる物ゆゑ蒲團といふなり」とある。ようするに掛布団は昔の衾(ふすま)であり、敷布団は褥(しとね)のことである。
平安時代の「きぬぎぬの別れ」ということは、男女がその着衣を敷いたり掛けたりして一夜を過ごし、朝になって元のように着て別れたので「衣々の別れ」という意味であるという。蒲団が存在する以前の生活はごろ寝したのである。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけては上流階級の贅沢品であって、元禄期になってようやく一般化されるようになったが下層階級には及ばなかった。それが文化・文政期の頃に至って庶民階級の間でも蒲団を使うようになったと見えて、当時の小説や諸文芸の中にも蒲団の文字が盛んに現れている。
なお、江戸時代の京都島原の遊女は、揚屋へ来る時に寝具を定紋付きの長持に入れて持参したという。