「覆面(ふくめん)」の始まり
平安時代初期から勢力を伸ばし始めた僧兵が覆面をしたことが始まりで、室町時代末期には手巾のようなものを頭に被り、その上に笠を被ったが、江戸時代初期から主として上流家庭の婦女子が外出する時に覆面をするようになった。
『昔昔物語』のなかに「昔は小身二百石三百石位の衆の奥方、母義、息女は歩行にてあるくことなし。遠方はもうすに及ばず、近所は乗物にてあるく。出先にて乗物より下りてあゆむ時はふくめんかぶり物して面を包み、眼ばかり出し包むゆゑ、御旗本方の奥方、息女などの顔、人みることなし。すべて息女は七歳以後は深窓にかくし、人にまみえさせず。召仕の女志んめう(針女)腰元そとへ出るに顔をふくめん、または綿にて顔を出さず、貌をだし候て行く女一人もなし。明暦の頃までは、しんめう腰元かづき(被衣)を戴きてありきしに」とある。
また、昔から高貴な御子に付けられる乳母は覆面をしていたもので、これは子供に卑しい者に対して親愛の情を持たせないためであったという。