Quantcast
Channel: 原始人の見聞
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

「初物(はつもの)」の始まり

$
0
0
「初物(はつもの)」の始まり
 その季節に先立って初めて出来た野菜・果実・穀物などのことを言い、これが初物として珍重されるようになったのは、江戸時代中期頃からである。すなわち『諼草小言』のなかに「太平の日久しく驕奢(きょうしゃ:贅沢なこと)の風を成し、食味新奇を競ふ、独活(うど)の新芽など土室(温度のこと)に養ひその出ることもつとも早し」とあり、また『吉原雑話』には元禄期の豪商であった紀伊国屋文左衛門の初松魚(初鰹)の話が出ている。すなわち「紀伊国屋文左衛門が大巴屋とやらへ来たり遊びし頃、まはし方重兵衛といふものあり。あるとき、紀文は重兵衛にいふに、ことしは初松魚ぜひに此里にて喰ひたきものなり。その方がはたらきにて、まことに江戸に一本もみへぬうち料理してくふべしと申しつける。かくて重兵衛は肴問屋に残らずたのみおき、前金をうち、初日に入り来たりたる船をばことごとく買ひもとめて、やがて迎ひの人をつかわし、紀文入り来たりけるに、鰹ただ一本を料理して出しける。大勢の牽頭末社(たいこまっしゃ)あとをはやくはやくと声を懸けれども、ただ一本出したるのみなり。かくてはもどかしきとて、紀文が直ちにはしごより下り、もはや魚はなきかといふとき、重兵衛庭の大半切二つ三つ蓋をとり、これほど御座候へども、初鰹はめずらしきが賞翫(しょうがん)なり。あとは家内のもの、近所の人々にふるまひ申すべしとて、一向に出さず、そのとき当座の褒美とて金五十両くれ、後々も重兵衛の氣象(こころだて)を嬉しがりて町屋敷など買ひて遣はしける」とある。
 なお、「初物喰へば七十五日生き延びる」という諺は、江戸時代における死刑囚にたいして「最後の思ひ出に、お前の喰ひたいと願ふものあらば言ふてみよ、許しつかはすべし」と言うのが例であった。そこで囚人はなるべく永く生きていたいため、できるだけその時節に無い物を注文したものであるが、たいてい75日たてば間に合った。そして、それを食べると同時にこの世とお別れであり、「初物を食うために75日生き延びた」と言うようになったのである。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1929

Trending Articles