$ 0 0 「築山(つきやま)」の始まり 庭園に築山を造ることは『日本書紀』によると、推古天皇の御代に渡来した百済の帰化人路子工という者が始めたとある。すなわち、推古34年(626)5月に、当時第一の権臣であった蘇我稲目の子馬子は飛鳥河畔の家の庭に池を掘り、池の中に小島を設けたので、当時の人は島大臣と呼んだという。 しかし、日本における庭園が趣味豊かな素晴らしいものとして発達したのは室町時代からで、夢想国師は樹木を刈り込み立石を施すことを伝えたとされている。