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Channel: 原始人の見聞
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「女形(おやま)」の始まり

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「女形(おやま)」の始まり
 歌舞伎の始めは女が男に扮する変態的なものであったが、江戸時代初期の寛永17(1640)8月に江戸幕府は女歌舞伎および男女混合の歌舞伎を禁じ、次いで寛永19年には男子が婦女に扮することも禁じた。
 当時の若衆歌舞伎はもとより、演芸の上に女性が絶対に必要であったので、この禁制には興行界が狼狽し、幕府に懇願してようやく男子に扮する者と、女子に扮する者との区別を明確にし、特に役者の肩書きに男方、女のまね方を標記することにして僅かに女形がゆるされた。これが後世の女形、立役の始まりを成したのである。そして実際の女形の元祖として名高かったのは慶安元年(1648)の頃に京都から江戸に来た右近源左衛門であると言われている。すなわち貞享4年版(1687)の『江戸咄』に「女形といふは、もと右近源左衛門よりぞはじまる」とある。
 「おやま」のことを上方では遊女の名称に用い、『嬉遊笑覧』のなかに「小山(おやま)次郎三郎といふもの、女の人形をよくつかふ。遊女傾城の類(たぐい)をおやまといふにより、これをおやま人形といふといへり。紛らわしき書きやうなり。おもふに上方にて遊女をおやまといふによりて唱えしならむ」とある。これがいつしか俳優の女形(おんながた)を「おやま」と呼ぶようになったのである。
 
イメージ 1
右近源左衛門
画像の出典:東京国立博物館

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